I found a beautiful Japanese ceramic bowl at an antique shop.
I could not initially read the engraved poem and signature because the font is very old. But finally, it proved to be made by Rengetsu Ohtagaki over 100 years ago.
The translation of the poem is;
"I walk in the hills and fields at night. The autumn moon saw me home ".
The artist has had many hardships in her life. She lost her 4 kids and husband.
After their death, she became a buddhist nun, poetess and ceramic artist.
She was a generous woman. She donated almost all the money she earned from selling her ceramics.
I'm happy to have met a woman with such a beautiful soul.
今年も去年同様、日本が新年を迎える頃にお重を求めてアンティークショップへ。
残念ながら理想のお重を手にすることはなりませんでしたが、和歌があしらわれた風流な鉢と出逢うことができました。
連綿体で綴られた和歌を手掛かりに持ち帰って調べてみると、江戸後期から明治初頭に活躍した歌人で陶人の太田垣蓮月の和歌であることが判明。
”野に山に うかれうかれて かへるさを 寝屋までおくる 秋の夜の月”
3人の子どもが幼くして亡くなった上25歳で夫にまで先立たれ、更に再婚相手も夭逝。その後出家し、再婚相手との間にできた娘は立派に育てようとするも、その娘にまで先立たれるという普通では考えられないような失意のどん底を味わった蓮月。
大変な美貌の持ち主だった蓮月の元には剃髪しても言い寄ってくる男性が後を絶たなかったそうで、それを拒むために自分の眉毛を抜いてしまうのですが、それでも言い寄られるので今度はなんと自分で前歯を抜くという荒技をやってのけたのだとか。
天涯孤独となった蓮月は教養を生かして歌人・陶人となり、和歌を綴った陶器を作り始めたそうです。
富岡鉄斎の才能を見出して育て上げたり京都の鴨川に丸太町橋を架けるなど、様々な偉業を成し遂げた蓮月。
更に黒船が来航し幕末の騒乱がはじまる中、これを憂いてあの西郷隆盛に和歌で談判したそうな。
”あだ味方 勝つも負くるも哀れなり 同じ御国の人と思えば”
江戸城総攻撃回避の裏には、蓮月のこの行動があったともいわれます。
蓮月の作品は当時も今もコレクターの間では大変な人気で贋作が多いといわれます。
私が入手した器の真偽は判りませんが、どちらにせよ時代を越えて知られざる偉人を知り、蓮月尼の魂に触れることができただけで幸せです。